《北のめん羊ワンダーランド 22》40年かけ広げてきた国産羊肉の可能性 北海道白糠町・茶路めん羊牧場

40年にわたり国内の羊肉生産をけん引してきた北海道白糠町の茶路めん羊牧場。サフォークやポールドーセットを活用した羊肉生産・販売のほか、自牧場の羊肉を使ったレストランの経営にも取り組み、羊肉の価値を広く一般に伝え続けている。【文・写真=星野晃一/2026年7月取材】※「北のめん羊ワンダーランド」は毎週金曜日更新中! 最新記事は公開後1週間、無料でご覧いただけます。


2品種を軸に約800頭を飼養
茶路めん羊牧場の現在の飼養規模は約800頭。このうち繁殖雌が約300頭、種雄が約16頭、更新用の育成羊は年間約70頭で、肉として出荷する年間頭数は約350頭だ。
品種はサフォークとポールドーセットとその交雑種で、頭数は交雑種が最も多く、純血種ではサフォークが約6割、ポールドーセットが約4割という構成だ。
血統登録は現在サフォークのみで実施している。雄は全て登録し、雌は約15頭だ。牧場は「準種畜生産牧場」として認定されていて、サフォークの純血頭数が減少する中、種雄の優先供給を受けている。
一方、ポールドーセットは、民間牧場同士の連携によって血統を維持している。2年前に3牧場共同で種雄を輸入し、現在も3牧場の緩やかなネットワークの中で改良を進めている。
牧場作業は、取締役の鎌田周平さんと常雇1人の2人が中心。代表取締役の武藤浩史さんもサポートに回るが、経営管理のほか肉加工を担当している。分娩時期にはアルバイトを加えることもあるが、そのときは実質2人体制で繁殖雌約300頭の分娩を管理している。
武藤さんは「頭数を増やすにも現状のスタッフでは手いっぱい。事故が増えれば意味がありません」と話し、経営規模の拡大よりも、少人数でも安定して管理できる体制づくりを重視している。


2歳以上の繁殖雌を集約放牧
草地は畜舎周辺に約7ha、離れた場所に約20haある。全て放牧専用で、冬季を除き集約放牧を実施している。対象となるのは2歳以上の繁殖羊で、1区画約0.5haの牧区を13区画ほど設け、牧草の生育状態を見ながらローテーションしている。羊自身が糞尿を排せつするため、放牧地へ化学肥料を施用したことはない。
一方、離乳直後の子羊は免疫力が十分ではなく、放牧すると寄生虫感染などのリスクが高まるため放牧していない。また、更新用の育成羊については、草地に余裕がある年は秋から放牧を行うが、肉用羊は舎飼いで仕上げている。武藤さんは「最終的には放牧肥育ができるようになるのが理想です」と話す。
冬季に必要な牧草は、周辺の酪農家から購入していて、現在は、ほぼ町内で必要量を調達できる体制が整っている。そのため、所有している機械は、トラクターやホイールローダーなど最低限にとどめている。
武藤さんは「牧草づくりは短期間に集中して作業する必要があります。一方、肉の仕事は一年中続くため、労働力を考えても自分たちで牧草収穫からパック詰めまで行うのは難しい」と説明する。
濃厚飼料はミキサーによる自家配合で、単味は国産の小麦、大豆、ビートパルプ、さらにしょうゆ粕を加えている。これらは飼料会社から全て購入するのではなく、直接調達できる原料は独自に仕入れることで飼料コストの削減を図っている。さらに、町内のチーズ工房から出るホエイを譲ってもらい給与している。
全頭駆虫から選択駆虫へ転換
牧場では近年、寄生虫対策を大きく見直した。以前はほぼ全頭に駆虫薬を投与していたが、「効いているはずの薬が効かない」という違和感を覚え、帯広畜産大学の研究者と共同で調査を実施した。その結果、多くの駆虫薬に耐性が生じていることが判明した。
海外でも同様の問題が指摘されており、ニュージーランドやオーストラリア、ヨーロッパでは「いかに薬を使わず寄生虫を管理するか」という方向へ大きく転換していることを知る。
現在は、貧血の程度を眼瞼結膜の色で確認し、糞便検査なども組み合わせながら、必要な個体だけに駆虫薬を投与する「選択駆虫」を実践している。
大学との共同研究により、親羊の約7割は駆虫しなくても十分な抵抗性を持つことも分かってきた。もちろん、選択を誤れば死亡する個体もある。しかし武藤さんは「長い目で見れば、抵抗性を持つ羊群を育てることが将来につながる」と考えている。
部位ごとの細かな注文にも対応
肉用は基本的にラムで出荷するが、ホゲットでの出荷も含め18~20カ月でほぼ出し切り、次の若いラムに切り替わっていく流れとなっている。
販売先は多様だ。レストランや焼き肉店への直接販売を中心に、食肉流通業者を介した販売、個人向け通信販売、食材宅配サービスなど複数の販路を持っている。
商品形態は枝肉と部分肉の両方だが、現在は部分肉販売の割合が高くなっている。骨抜き加工のみの場合は外部の加工場に委託するが、部位ごとの細かな注文や250g単位の個人向け商品などは、牧場内の加工施設で武藤さん自ら手掛けている。
羊毛も資源として活用している。品質にばらつきがあるため丁寧に選別し、品質の低い羊毛は堆肥化、品質の良い羊毛は紡績や手紡ぎを行う人へ販売している。羊毛部門は経営全体の約1割の売り上げを占めている。
帯広畜産大学で羊に魅せられる
武藤さんは京都府出身。農業への強い思いがあったわけではなく、主に「地元から遠くへ行ってみたい」という理由で帯広畜産大学へ進学した。
研究室では、オーストラリアで学位を取得した福井豊さん(現帯広畜産大学名誉教授)の下で羊の研究に携わる。大学院では牛が研究テーマだったが、福井さんの羊の実験を手伝う中で北海道各地の羊牧場を巡るようになった。
転機となったのは、大学で研究用に飼っていた羊を食べた経験だった。「こんなにおいしい羊肉があるのか」という衝撃を受け、「なぜ日本で広まらないのだろう」と考えるようになる。その疑問から歴史や産業構造を調べ、羊産業そのものに魅力を感じるようになった。
しかし、当時の日本には羊に関わる仕事はほとんどない。武藤さんは休学し、カナダで農業研修に参加する。研修先の一つが脱サラして経営者となった羊牧場だった。ビジネスとして羊を捉える考え方に触れ、「日本でも工夫次第でマイナーな羊産業が成り立つかもしれない」と可能性を感じたという。
帰国後は、大学教授の紹介で羊とヤギを利用した研究牧場の立ち上げに携わり、牧場責任者としてヤギ約300頭、羊約60頭を管理する仕事に就いた。
バブル崩壊でとん挫した牧場を引き継ぐ
研究牧場に勤めて2年たったころ、白糠町で羊毛利用に取り組む女性と出会い、その女性の紹介で、東京で羊料理専門店を開業する計画に参加することになる。その店に羊肉を供給するため、白糠町の離農した酪農家の土地を借り、35頭の羊を導入して牧場づくりが始まった。武藤さんには牧場の管理が任された。
しかし、事業が軌道に乗る直前にバブル経済が崩壊する。計画は白紙となった。それでも武藤さんは「ここでやめたら何も残らない」と決断し、羊と施設を約1,000万円で買い取ることを決め、1987年、牧場経営を引き継いだ。当初は羊だけでは生活できず、酪農資材会社で施工や指導のアルバイトをしながら牧場を維持した。
順調に頭数が増え、土地購入を進める段階で認定農業者の資格が必要となった。羊農家という町内に前例のない経営だったため、農業委員会では賛否が分かれたが、最終的には理解を得て就農が認められた。
土地は売り手側の税制上の負担も考慮しながら少しずつ取得したが、その際、日本政策金融公庫からの融資に非常に苦労したという。公庫融資には農協の正組合員資格が必要だったが、農業委員会での一件が響き、理事会で承認されなかった。
それでも農業委員会や役場、道の支援を受け、公庫から約2,000万円を直接融資してもらうことが決まり、経営基盤を築けることになった。
向かいの古民家を改修しレストラン開業
開場当初は頭数も少なく、販路は口コミが中心だった。武藤さんは羊を丸焼きにして提供するケータリングを始め、自作の丸焼き機を積んで北海道各地を回った。「まず食べてもらわなければおいしさは伝わらない」という思いから始めた活動は、およそ20年続いた。
また、1990年には食肉販売業の許可を取得し、部分肉販売にも対応できる加工施設を整備した。これにより個人販売やレストラン向け販売が本格化していく。
さらに2015年には、牧場の向かいにある築100年を超える古民家を改修し、レストランを開業した。武藤さんが目指したのは、「羊肉=ジンギスカン」というイメージにとらわれず、羊料理の幅を広げること。内臓を含めた多様な部位の魅力、世界の羊料理を伝える場をつくりたいという思いがあった。
料理人は札幌の取引先レストランとの縁で出会った地元・白糠町出身のシェフだ。開業前の約1年間は牧場で働きながら、羊の世話から解体・加工まで学び、「生産現場を理解した料理人」として武藤さんとともにレストランづくりに携わった。

次世代へ牧場を引き継ぐために
武藤さんは現在、自身の新たな挑戦よりも、次世代への継承を最優先に考えている。40年かけて築いてきた羊群をさらに改良し、病気に強く、多産で、産肉能力に優れた羊群をつくることが、持続可能な牧場経営につながると考えている。
「私が何をしたいかではなく、次の世代が何をしたいか。その可能性を残すために牧場を維持していかなければならない」と語る。そして、「私がいなくても大丈夫と言われるような牧場をつくること」が、今の最大の目標だ。
先達者として数々の課題に直面しながら国内の羊肉産業を切り開いてきた茶路めん羊牧場。その歩みは次のステージに移ろうとしている。
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