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食を通じた出会いが人の交流をより豊かに――ミルク1万年の会「ヨーグルト」交流会(中)

  • 8月17日
  • 読了時間: 4分
ヨーグルトの定義を説明するヨトヴァ氏
ヨーグルトの定義を説明するヨトヴァ氏

 「ミルク1万年の会」が主催する「ミルクで繋がる交流の集い2026:ヨーグルトの価値と魅力から酪農を考えよう! ~ブルガリアと日本の事例から~」の講演会で登壇した立命館大学食マネジメント学部食マネジメント学科のヨトヴァ・マリア准教授は、自身の体験を交えながら「ブルガリアヨーグルト」の歴史と日本での展開に加えて、食を通じた異文化交流についても話した。


ブルガリアヨーグルトの歴史と展開を解説


 講演の冒頭、ヨトヴァ氏はブルガリア育ちで当たり前のようにヨーグルトを食べてきたと述べた一方で、「ブルガリアヨーグルト」と出会ったのは、初めて来日した後だったと明かした。日本でブルガリア出身だと自己紹介すると、誰もが「ヨーグルトの国だ」と反応したことから、「(ブルガリアの)ヨーグルトは特別なのか」と初めて意識するようになったという。

 「ブルガリアヨーグルト」がいかにして社会に浸透したのかを説明するに当たり、ヨトヴァ氏はヨーグルトの定義を説明した。

 国際食品規格では乳酸菌(ブルガリア菌、サーモフィルス菌)で発酵させたものがヨーグルトになると話し、一方で日本が特徴的なのは、ヨーグルトではなく発酵乳という広い定義がある点であり、正確にはヨーグルトとは異なるものもあるとした。

 ブルガリアの国家規格でもヨーグルトはブルガリア菌とサーモフィルス菌の組み合わせで発酵させたものと定められており、この乳酸菌が入っていないと、ブルガリア人にとってはヨーグルトではないと述べた。

 さらにヨトヴァ氏は、ヨーグルトがブルガリア発祥だという認知や健康食だという情報が世界的なものになった背景には、科学的な「言説(特定の社会的文脈において、ある物事や現象について語られていること、社会的な制度や関係者の相互影響の元でつくり出される知識、常識のようなもの)」の力があったと分析した。

 ノーベル賞受賞者でもあるイリヤ・メチニコフが説いた「不老長寿説」や、スタメン・グリゴロフによるブルガリア菌の発見が、ブルガリアがヨーグルトの国であるというブランドストーリーをつくり上げたと説明した。

 さらに、このストーリーに注目したのが、日本の明治乳業(現・明治)だったと述べた。明治は、社会主義体制だった当時のブルガリアの国営企業と提携し、日本初のプレーンヨーグルトとして「明治ブルガリアヨーグルト」を発売。ヨトヴァ氏によれば、甘くないヨーグルトは当初、日本の消費者に戸惑いを与え、「酸っぱい」「腐っているのでは」といった声もあったという。

 しかし、明治がCMなどを通じて「ひたすら爽やか」という巧みなキャッチコピーや、蜂蜜をかけるといった新しい食べ方を提案し、消費者教育を行うことで、日本の食文化として定着させていったと説明した。

 日本でのブルガリアヨーグルトの成功はブルガリア本国にも影響を与えているという。ブルガリアの国営企業のホームページには「2,400万人の日本人が毎日ブルガリアのヨーグルトで新たな1日を迎える」と記されており、ヨトヴァ氏は日本人がブルガリアヨーグルトを愛用しているという事実が、ブルガリアの人々に自国の文化の価値を再認識させてアイデンティティにつなげていると指摘した。

 また、ヨトヴァ氏は、ブルガリアでの日本の学生たちによる体験学習の様子も紹介。ブルガリアの夏の定番である冷製ヨーグルトスープ「タラトール」を初めて口にした学生たちは、その強い酸味とニンニクの風味に戸惑い、当初は「食べられない」という反応が多かったと説明した。

 しかし、現地の乾燥した暑い気候や、塩分と水分を同時に補給するための知恵であることを学ぶと学生たちの理解は深まった。帰国後には、タラトールを日本人の口に合うようにアレンジしたレシピを考案するなど、食を通じて文化の違いを理解し、新たな価値を創造する姿が見られたと話した。

 最後にヨトヴァ氏は、日本のヨーグルトの食文化の発展に向けては学生たちのようにアレンジすることが必要になると提案した。その上で「ヨーグルトはブルガリアを象徴する食文化であり、日本人にとっては異文化を理解する身近な入り口。食を通じた出会いの積み重ねが、人と人、国と国との交流をより豊かなものにしていく」と総括した。

 (つづく、山根藍利)

 ≪酪農経済通信/2026年8月14日付≫

 原題:食を通じた出会いが人の交流をより豊かに

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