top of page

【読者会員限定】昭和55年発行「デーリィマン30年の歩み―創刊30周年に寄せて」

  • 6月1日
  • 読了時間: 12分
表紙
表紙
横書きの冊子
横書きの冊子

 本稿は、1980年(昭和55年)秋に行われた「デーリィマン」創刊30周年を祝う会合で配布された冊子『デーリィマン30年の歩み―創刊30周年に寄せて―』をもとにしたものです。

 昭和26年の創刊から全国誌へと発展していくまでの歩みが、当時の関係者の言葉で記されています。資料的価値を考慮し、原文の表記や言い回しをできるだけ生かして掲載します。


よ

ごあいさつ


 このたび「デーリィマン」誌が創刊30周年を迎えました。

 この30年間を支えていただきました読者のみなさまをはじめ、行政関係省庁および酪農関係諸団体のみなさまに厚くお礼申し上げるしだいです。

 「デーリィマン」誌は昭和26年1月、連合国最高司令部および当時の酪農関係者の強い要望により財団法人・デーリィマン出版協会が創設され、わが国で初めての酪農専門雑誌として誕生いたしました。当時の酪農界は敗戦後の混迷期にあり、わが国酪農の光明を模索するなかで創刊されたわけでありますが、関係者のみなさまのご支援により今日まで発展を続けてまいりましたことは、まことに喜びにたえません。

 デーリィマン出版協会解散後、デーリィマン社となりましてからは「デーリィマン」の発刊のほかに酪農研修制度の実施、オール・ニッポン・ホルスタイン・コンテストの開催、海外研修旅行の開催、酪農物品の販売など独自の事業も展開してまいっております。これらの事業の実施はみなさまのご理解とご協力がなければ果たし得なかったものと思いますし、感謝申し上げるしだいです。

 「デーリィマン」誌は現在、酪農雑誌のなかでは最高の部数を持ち、全国誌として厚いご信頼をいただいております。そのご期待にお応えいたすと同時に一層よりよい誌面づくりを目指すため、本年7月からオフセット輪転印刷を開始いたしております。

 「デーリィマン」誌がここに無事創刊30周年を迎えることができましたことにお礼を申し述べるとともに、わが国の酪農が今後ますます発展をいたすことを念じ、また、本誌が酪農振興のために今後とも微力をつくすことをお約束し、ごあいさつといたします。

昭和55年秋

デーリィマン社

代表取締役社長 佐々木治夫

  

デーリィマン小史


●官民一体で創刊●


 デーリィマンが創刊されたのは昭和26年1月でした。雑誌の上では同年2月号が創刊号となります。スタイルは現在と同じB4判、表紙は白黒の写真を赤い枠組みで囲んであります。24ページ建て、定価50円でした。表紙が左めくりとなっている・・・・・ということは、活字が横組みで、当時としては非常にモダンな雑誌という印象があったかと思います。

 出版は「デーリィマン出版協会」によって行われました。メンバーは、

 会長 佐藤 貢

 副会長 松本六太郎 宇都宮 勤

 理事 北海道庁、北海道酪農協会、北海道ホルスタイン生産農業協同組合、北海道指導農業協同組合連合会、北海道バター株式会社、明治乳業株式会社、森永乳業株式会社、雪印乳業株式会社

 常任理事 青山 永 澤 潤一

 監事 佐々木義一 中西 道彦

 事務局長 長谷部唯雄

 以上の諸氏となっており、このほか編集委員としてABC順に、藤本虎之助(ホル協)橋本吉雄(北大)広瀬可恒(北大)平戸勝七(北大)東勝利(道指導)池田鹿之助(道農業改良課)小林道彦(道酪農協会)梶俊夫(酪販連)近藤護(北海道バター)片山好儀(雪印)水町陸三(森永)向井羊吉(酪検)前野正久(北大)西島雄三(道農試)西谷正尚(道民事部)仙田久芳(道農試) 斉藤千寿男(明治)末武久(道衛生部)氏家滋(道畜産課)の諸氏が創刊号に名を連らねておられます。

 実に荘々たるメンバーでございまして、亡くなられた方はだいぶございますが、現在も第一線で活躍されておられる方もございます。文字通り官民一体で、デーリィマンが創刊されたのでした。

 創刊のいきさつにつきましては、佐藤貢氏がデーリィマン創刊30周年記念増大号に寄せられました祝辞の中で触れてございますので、次に再録しておきます。

 

●デーリィマン協会とデーリィマン社●


 「デーリィマン」誌がこのたび創刊30周年を迎え、このたび記念の増大号を刊行されたことは、心から慶祝にたえません。

 顧みれば、本誌発刊の契機はまだ戦後の混乱が続いていた時期で、食糧そのほかの物資が不足し、国民生活も不安定な状態に悩まされていたころでした。特に畜産、酪農に関しては、食糧や飼料の不足から乳牛が第三国人に密殺されたり、進駐軍が牛を徴発するから早く処分した方がよいなどのデマに脅やかされ、売却を迫られて手離す者が続出し、終戦後1~2年でわが国の乳牛は26万頭から18万頭に激滅しました。

 しかし、酪農の指導的立場にある人々の間では、満州、朝鮮、台湾、樺太、千島を失って四つの島に閉じこめられたわが国が今後の食糧を自給するには、酪農によって土地の生産力を培増し、多角経営によって穀しゅくと乳肉卵の増産を図る以外に道はなく、ますます酪農の奨励に力を注ぐ必要性が論議されました。

 さらにまた、われわれのこうした信念を強めたのは進駐軍の獣医官で、心からわれわれに共鳴し、激励さえ受けたのです。そのなかに「日本にはよい酪農の雑誌がないではないか」「まずこれを早速つくったらどうか」との意見がありました。

 この点についてはわれわれも全く同感で、戦前は戸沢泰蔵氏の乳牛タイムスが永年酪農家に親しまれ、その奨励に大きな役割を果たしてきましたが、当時これが廃刊となり、われわれも少なからず心淋しさを感じていました。

 そこで道庁の澤畜産課長や畜産関係の団体および乳業の代表者などが会合して、真剣にこの問題を討議し、ぜひこれを実現しようではないかとの意見に一致しました。

 そこで数名の委員を中心に具体案をつくることになりましたが、私はアメリカの代表的酪農誌「ホワーズ・デーリィマン」に匹敵するものにしたい、誌名も「デーリィマン」としてはどうかと提案したところみんなの賛同を得ました。次はその編集から刊行、販売をどうするか、その責任者は誰にするかなど協議しましたが、結局私にやってくれとなりました。

 私は会社の再建整備だけでも容易でなく、その上この仕事を引き受けては大変だと断わったが、誰も引き受け手がなく、全くの素人がとちゅうちょしましたが、止むなくこれを引き受けることになりました。

 そして、取材や編集などの経験者を物色して、取りあえず雪印乳業の事務所の一部を割愛して仕事を始め、道内の酪農家や関係団体を対象に販売を進めたのでありますが、幸いにも漸次愛読者が増え、職員も増加して、事務所も狭くなりました。

 ところが昭和31年に雪印とクローバー乳業が合併して、クローバー乳業の事務所が空いたので、そこに事務所を移しました。しかし、経営面ではなかなか収支が合わず苦労を重ねている間に、われわれの関知しない融通手形が密かに乱発され、それが悪用されてますます経営をひっ迫させているとの風聞を耳にしました。よって私は急拠帳簿を引き上げてそれをつきとめるとともに、その対策に当たりました。しかしこのような問題が発生した以上、そのまま事業の継続は無理と考え、人員を整理して事業の中断を決意したのです。ところが、佐々木治夫氏からこれを引き受ける希望が出されたので、協議の結果、同氏に事業を譲ることにしたわけです。

 それから約21年になりますが、多年の経験と優れた経営手腕並びに役職員の真剣な営業努力により、多少の変遷はあったが、全国的に販売を広げて遂に隆々たる発展を遂げ、立派な新社屋まで建設して、酪農の振興発展に絶大な貢献をされたことは、まことに敬服にたえません。

 日本の酪農が直面している大きな困難を克服するには、今後多くの課題の解決を要します。デーリィマン社は今後これらの問題と取り組み、国際競争に耐え得る酪農の建設にさらに尽力され、ますます発展されるよう心から祈念してやまないしだいです。

 ◇

 かくしてデーリィマンは創刊号を7,000部印刷してスタートしたのでした。スタート直後は極めて順調に進み、2年目の昭和27年には32~36ページ建てと増ページ、さらに翌28年には協会も財団法人となり「日本デーリィマン協会」と名称を改め、東京支局を銀座の飼料ビル内に置くなど発展を続けました。

 財団法人に組織変えした時の役員は、会長・佐藤貢、副会長・幡野直次、青山永、理事・大野勇、佐藤清、加地謙三、塩野谷平蔵、太田信吉、澤潤一、佐々木三郎、徳田二郎、近藤譲、監事・潮田辰次、東勝利、水町陸三の諸氏です。

 協会はデーリィマンの発行のほか、太田正治著「私は見たデンマーク農業」(全4冊、各150円)、木村慶一著「酪農天気図」(280円)、田垣住雄著「草地農学」(1,200円)、キーニイ著「キーニイの牛飼い哲学」(350円)など単行本の出版にも手を染めるようになりました。

 これらの単行本は売れた物もありましたが、ほとんど売れなかった物もあったようです。売れたので急いで増刷したら全部残ったという物もあり、要するに将来のことをあまり考えずに手を広げていったあたりから、日本デーリィマン協会は少しずつ傾むきかけていくということになりました。

 昭和20年代も終わり頃になると、集乳合戦なども激化の兆を見せ始め、協会の役員も自分の足元が忙しくてデーリィマンの発行に気を配る余裕もなく、ついには一部の職員が融通手形を発行するという不祥事を引き起こして解散止むなきの事態を迎えました。

 

●体裁を一新し再出発●


 財団法人・日本デーリィマン協会は昭和32年秋に解散されましたが、従来の編集、営業のスタッフは、デーリィマンの発行を引き継ぐことになった株式会社・北海道協同組合通信社内に置かれたデーリィマン社に結集され、新たな出発を見ることになりました。

 協会が解散した当時の発行部数は現在の10分の1足らずの6,000部ほどでした。北海道協同組合通信社社長と同時に新たにデーリィマン社長に就任した佐々木治夫は、ただちにデーリィマンの再建に着手しました。

 編集面では、再建を引き受けた10月号に「本文をヨコ組みからタテ組みに変更する」旨の社告を出し、翌年の新年号から、それまでの7年の慣習を変えてタテ組みにし、活字の大きさも8ポ主体から9ポ主体へと大きくしました。タテ組みに変えたのは、「新聞がヨコ組みにならないうちに雑誌をヨコ組みにするのは早い」という佐々木社長の持論を具現化したものです。8ポから9ポへと活字を大きくしたのは、酪農家が忙しい作業の合い間にも気楽に読めるようにと配慮したものです。

 こうしたレイアウト面の変更もさることながら、佐々木社長がデーリィマンに関してもっとも意を注いだのは、デーリィマンをさらに大きく飛躍させることでした。飛躍ということの意味は“北海道”のデーリィマンから“全国”のデーリィマンに、という意味です。それまでの7年間の発行の間にデーリィマンは北海道酪農界のもっとも権威ある専門誌に育っていましたが、府県の読者は、ユニークな内容に魅かれて購読しているごく少数でした。

 佐々木社長は、半年後の翌昭和33年4月に東京進出を決定し、新橋にデーリィマン東京支社を設置しました。さらに1年後には大阪に関西支社を設置しました。東京支社には、札幌から編集、営業、販売の精鋭が送りこまれ、新たに全国的な視野からの活動が佐々木社長の陣頭指揮のもとに開始されました。

 

●全国一のデーリィマンに●


 昭和33年新年号は、新たなデーリィマンの第1号といえるものです。雑誌の大きさはそのまま、表紙も、創刊当時からの白黒写真を赤枠で囲んでいるものですが、内容は先に述べた通りタテ組みとなりました。

 現在でも残っておりますが、デーリィマンの中に「ミルク礼賛」という囲み記事があります。芸能界を中心に各界の有名人がミルクを手にしてミルクを語るというコラムですが、デーリィマン再建の33年新年号では、この「ミルク礼賛」がトップ記事になっています。ミルクを前に置いて、エン然と微笑んでいるのは当時の首相・岸信介氏でした。それまでどちらかといえば、デーリィマン誌上への登場人物、執筆陣は北海道関係者がほとんどだったのですが、東京支社設立後はそれが全国的な広がりを見せるようになりました。その象徴的な記事が岸信介氏のミルク礼賛だったように思います。

 ただしこの取材には佐々木社長もだいぶ苦労したと聞いております。それもそうでしょう。現在の鈴木善幸首相にミルク礼賛をお願いしても、まず 100%可能性はないでしょう。

 全国に進出したあと、それなりの苦労はあったのですが、昭和30年代の終わり頃から営業、販売成績ともに飛躍的に伸びを見せ始めました。特に府県での有料部数が急激に増加し始めたため、昭和41年から「北海道版」「府県版」の二つを編集することになり、現在に至っております。掲載広告も、おかげさまで爆発的な伸長をみております。最近のことにつきましては、誌面をごらんいただくとよくお解りいただけると存じますので、次に当社の現況をかいつまんで記し、終わりといたします。

 デーリィマン社は株式会社北海道協同組合通信社内に置かれています。札幌本社は札幌市中央区北4条西13丁目にあり、昭和52年に新社屋を建設しました。東京本社は東京都豊島区北大塚1丁目26ノ7にあり、札幌本社に先立つこと10年、昭和43年に社屋を建設しました。関西支社は大阪市北区神山町9番9号にあります。

 出版事業はデーリィマンを毎月発行するほか年2回臨時増刊号を発行、随時発行の酪農技術書と合わせて好評をいただいております。姉妹誌として北海道協同組合通信社の月刊農業誌「ニューカントリー」日刊「北海協同組合通信」年刊「北海道農協年鑑」年刊「北海道の農業」があり、さらに酪農経済通信社発行の日刊「酪農経済通信」年刊「酪農経済年鑑」などがあります。

 出版以外では、昭和45年より農林水産省、中央畜産会、日本ホルスタイン登録協会、北海道ホルスタイン農業協同組合後援、全国酪農協会の共催をいただきデーリィマン社主催で、写真による全国ホルスタイン共進会(名称・オール ニッポン ホルスタイン コンテスト)を年1回実施し、酪農家諸氏から好評を博しております。

 また、アメリカ・カナダ・ホルスタイン酪農視察団を北海道ホルスタイン農業協同組合の後援をいただいて10年前から、ヨーロッパ農業研修旅行をニューカントリーとの共催で6年前から実施しております。

 酪農資材については、国産品・輸入品のあっせん、オリジナル商品の製作・販売を行っております。

 本稿は本日のパーティーのため、時間がないまま急拠作成したものです。不備な点、誤りもあろうかと存じますが、お許しいただければさいわいです。

デーリィマン社専務取締役 岩船 修

bottom of page