《北のめん羊ワンダーランド 23》生体輸入で新たな母群づくりに挑む 北海道白糠町・羊まるごと研究所

北海道白糠町で繁殖雌約100頭を基盤とした羊牧場を営む酒井伸吾さん。2001年に新規就農し開場した「羊まるごと研究所」は四半世紀を迎えた。今年は、より優れた羊群づくりを目指してニュージーランドからの生体輸入を実施。これまでの日本の「近交回避のための育種」から、「疾病に強く産子率に優れる育種」へと歩みを進めている。
【文・写真=星野晃一/2026年7月取材】※「北のめん羊ワンダーランド」は毎週金曜日更新中! 最新記事は公開後1週間、無料でご覧いただけます。


母系能力も重視した羊群づくりへ
牧場は現在、年間を通じて繁殖雌100頭前後を維持しており、子羊の出生状況や前年産の販売状況によって全体の飼養頭数は250~350頭の間で推移している。種雄は5頭で、主力品種であるテクセルとサフォークに加え、有色羊(カラード、後述)も導入しており、それぞれの系統を維持している。また、近年はニュージーランドから新たにペレンデールの雄と雌など計3頭を導入した(取材時は日本の検疫許可待ち)。輸入に際しては仲間の羊飼いと共同で12頭を導入し、1頭当たり約100万円という大きな投資となった。
現在の雌群は、サフォーク、テクセル、その交雑種を主体に構成されている。さらに牧場全体の1~2割ほどをカラードの羊が占めている。カラードとは茶色など色付きの羊毛を持つ羊の総称だ。ジャコブやブラックウェルシュマウンテンなどの系統に由来する有色遺伝子や、サフォークの先祖返りによって現れることがある。
酒井さんが今回の輸入で重視したのは、単に新しい品種を導入することではない。転機となったのは、ニュージーランドの種畜牧場を訪れた経験だ。それまで日本では、「近親交配を避けるために海外から新しい血を入れる」という考え方が一般的だったが、現地では品種そのものよりも、「どのような育種思想を持つ牧場が、その羊を育てているのか」が重要視されていた。酒井さんは、「この品種だから優れている」という発想ではなく、「どのような考え方で改良を続けてきた牧場なのか」を見ることが、本来の種畜選びであると実感したと振り返る。ニュージーランドでは、それぞれの種畜牧場が明確な育種目標を掲げ、その理念に基づいて遺伝的改良を積み重ねていた。
さらに酒井さんは、日本の肉用羊生産が「ターミナルサイア(肉用雄)」中心の改良に偏ってきたことにも課題を感じている。これまで自身の牧場では、より良い成績と事故が起こりにくい環境づくりとして「良い母羊を育てること」に力を注いできたが、その母群づくりをターミナルサイア主体で続けることには限界があると考えるようになった。そこで今回導入したペレンデールには、「マターナル(母系能力)」の役割を期待している。ニュージーランドでは、母系品種でありながら高い増体能力を持つ羊も多く、母羊としての能力と肉用性能を兼ね備えた育種が進められていた。酒井さんは、こうした母群づくりの考え方を自らの牧場にも取り入れようとしている。
また、寄生虫に対する耐性を持つ育種にも注目。駆虫薬に依存するのではなく、羊自身が寄生虫に強い体質を備えるよう改良を続けてきた牧場を訪問し、その考え方に強く共感した。現地には40年以上にわたり母羊への駆虫を行わず、遺伝的な耐性を重視した育種を続けている牧場もあった。今回導入した種雄は、一緒に輸入した羊飼いと共同で活用しながら、2年ごとに交換していく計画だ。自家繁殖を基本としながら新たな血統を循環させ、日本の環境下でも寄生虫耐性や母系能力が十分に発揮されるかを検証していく考えだ。
「これは最初の投資であり、『人柱』のような挑戦でもある」と酒井さん。新たな母群づくりは、牧場にとって大きな転換点となっている。
8~9月以降3段階に分けて販売
牧場では、子羊の誕生から出荷までを計画的に管理し、それぞれの成長段階に応じた販売を行っている。出産は主に2月。生まれた子羊のうち発育の優れた個体は、日増体重を意識した肥育管理を行い、生後5~6カ月齢となる8~9月に最初の出荷を迎える。いわゆる「ラム」として販売される羊だ。
その後も出荷は続く。10月以降に販売する群、さらに翌年まで育てて販売する群と、大きく3段階に分けて販売計画を組み立てている。最も遅い群では1年5~6カ月齢まで育成し、「ホゲット」として出荷している。年間の出荷頭数はおよそ140~150頭で、枝肉として出荷している。
販売先は首都圏を中心としたフレンチやイタリアンのレストランが主体で、在庫に余裕がある場合はスポット的にジンギスカン店へも出荷している。

繁殖雌を中心に前年産の育成羊、繁殖候補の子羊を放牧
放牧地は約10ha、採草地は約12haを確保している。放牧期間は例年4月中旬から11月下旬まで続き、北海道東部としては長い期間、青草を利用している。放牧するのは繁殖雌約100頭を中心に、前年生まれの育成羊、そして将来の繁殖候補となる子羊だ。選抜された4カ月齢ほどの雌子羊は母群とともに放牧されるが、ここで十分な体づくりができない個体は繁殖候補から外される。
酒井さんは「放牧だけで体をつくれない羊は、母羊としての資質が足りない」と考えている。毎年約30頭を候補として放牧し、成績を見ながら最終的に20頭程度へと絞り込んでいる。放牧そのものが、繁殖能力を見極める選抜試験になっている。
放牧地は電気牧柵によって約16区画に分けられている。夏場はおよそ2日に1回のペースで区画を移動し、それぞれの区画がおよそ2週間に一度利用されるよう調整している。ただし、単純なローテーションではなく、草の伸び具合、羊の食べ方、ルーメン(第一胃)の状態まで確認しながら、その都度移動時期を判断する。実習生にも毎日放牧地へ足を運ばせ、「用事がなくても草を見に行く」ことを徹底してきた。
以前は繁殖雌を120頭まで増やした時期もあった。しかし、その規模では春先と秋口に草が不足し、放牧期間を十分に維持できなくなった経験から、草地の能力と家畜頭数のバランスを取ることこそ、生産性向上の鍵だと考えるようになった。
一方、採草地の牧草は主に放牧ができない冬季用で、採草からパック詰めまで自ら作業している。そのための機械装備一式は中古で買い求め、計200万円ほどで済んだという。
草地管理で近年深刻なのが、エゾシカによる食害だ。収穫量が3分の1程度まで減少する年もあり、不足する粗飼料は近隣農家から購入して補っている。そこで補助事業を活用し、高さ2mの侵入防止柵を設置した。材料費には公的支援があり、施工は自ら行っている。酒井さんは学生時代、フェンス施工の仕事に携わった経験があり、その技術を生かして大部分を自力で施工した。その結果、比較的少ない自己負担で広範囲の草地を囲うことができ、設置後はシカの侵入が大幅に減少したという。
草地は長年の放牧によって安定し、現在は化成肥料を施用しておらず、土壌分析もほとんど行っていない。草地造成時にはチモシーを播種したが、意識的にクローバーの播種は控えた。羊は短草を好むため、裸地があるとクローバーが急速に広がる。クローバーは栄養価が高い一方で、増え過ぎると鼓張症や繁殖障害の原因となるエストロゲン様物質の影響も懸念される。
現在は放牧密度を適切に維持することで草種のバランスが保たれ、クローバーが優占し過ぎない草地を維持している。酒井さんは「草地更新をしなくても、放牧管理によって良い草地は育てられる」と実感している。

羊毛を捨てない牧場を目指して
「羊まるごと研究所」の牧場名が表す通り、「羊の生産物の多様性を生かす」がモットーだ。「日本で一番、羊毛を販売できている牧場」と語る酒井さんの牧場では、ほぼ全ての羊毛に販売先がある。そでなど品質が劣る部分は取り除くが、それらも断熱材として利用されるため、基本的に廃棄する羊毛はない。
これらの売り上げは、全体の約2割近くを占めるまでになっており、羊1頭から生まれる価値を余すことなく活用する経営が実現されている。
羊毛販売に強みを持つ理由は、羊毛そのものへの深い理解にある。実は酒井さんは、羊飼いになる前から糸紡ぎを続けてきた。糸紡ぎが羊飼いを志すきっかけにもなった。そのため、羊毛を「原料」として見るだけではなく、「どのような糸になり、どのような作品になるか」という視点で評価できる数少ない生産者でもある。
羊毛を購入する作家は、その羊毛を見ただけで完成する作品を思い描く。逆に酒井さんも、それぞれの作家がどのような素材を求めているかを理解している。
サフォークだから、テクセルだからという品種分類ではなく、1頭ごとの羊毛の特徴を見極め、「この羊毛ならあの作家が喜ぶ」と判断して販売している。こうした細かな目利きは、羊毛を実際に紡ぎ、作品づくりを理解しているからこそ可能になる技術だ。
羊毛の販売先は、手芸愛好家だけではない。顧客の中心は、ホームスパンや紡績を仕事とするプロの作家だ。1人で20頭分もの羊毛を毎年購入する作家もおり、教室の生徒へ材料を供給する役割もある。
現在販売している羊毛の多くは、毛刈り後に品質の劣る部分だけを取り除き、ロール状にまとめた状態だ。洗毛や加工は行わず、そのまま作家へ届ける。作家はそこから洗毛、紡毛、糸づくりへと進み、自ら作品へ仕上げていく。この形態だけで年間100頭分以上の羊毛が販売されている。
酒井さんは、こうした販売が成り立つ理由について、「オタクの世界だから」と笑う。展示会や即売会で交流を重ね、作品づくりや羊毛について語り合う中でネットワークが広がり、信頼関係が築かれてきた。羊毛そのものだけではなく、「この生産者なら安心して買える」という評価が、長年かけて形成されてきたのだ。酒井さんの頭には「この羊毛なら、この作家」という組み合わせが、日本地図のように描かれているという。
「足るを知る」から始まった羊飼いの道
酒井さんは函館市の出身。幼い頃から動物が好きで、将来は獣医師になりたいという思いを抱き、帯広畜産大学へ進学した。しかし、希望していた獣医学課程へは進めず、畜産学を学ぶことになる。羊と出会ったのは、大学のサークル「シープクラブ」だった。先輩たちは牧場で羊毛を譲り受け、それを糸に紡ぎ、学園祭で作品を販売して活動資金を得ていた。
最初は仲間との交流を目的に参加した酒井さんだったが、やがて糸紡ぎそのものに魅了される。そして手芸ではなく、その原料を生み出す羊そのものに興味を持つようになった。当時出会った羊飼いたちは、肩肘張らず、自分らしく暮らしていた。その自由な生き方にも大きな影響を受け、「羊の世界は面白い」と感じるようになる。
大学卒業後は、医療用培地に使われる羊や馬の血液を採取する会社へ就職した。約2年間勤務し、採血や家畜管理の技術を身に付けた。しかし大学で経営を学んでいた酒井さんは、この仕事を長く続ける将来像を描くことができず、退職。約1年にわたりモンゴルで遊牧民と生活を共にし、遊牧民の暮らしを通じて「足るを知る」という価値観を深く学んだという。収入を増やすことだけを人生の目的にするのではなく、自分が本当にやりたい仕事を選び、その中で暮らしていけることが幸せなのではないか。この考え方が、その後の牧場経営の土台になっている。

1,000万円を借り入れスタート
帰国後は、同じ白糠町の茶路めん羊牧場で約2年間研修した。研修を終え就農時に利用したのは、新規就農者向け制度資金のみで、およそ1,000万円を借り入れて牧場づくりをスタートした。廃業した酪農家の跡地を購入し、自ら牛舎を住宅へ改修するなど、できることは自分たちの手で進めていき、スタート時の羊は約20頭。「資金繰りで困ったことは一度もない」と振り返る。
羊肉の販売先は営業活動によって開拓したのではなく、牧場を訪れた人との縁から札幌で販売が始まり、その後は食材会社との出会いをきっかけに首都圏のレストランへと販路が広がっていった。酒井さんが重視したのは、価格や販売量ではなく「どんな人と付き合うか」だった。牧場を始めたばかりの頃は年間数頭しか出荷できなかったが、それでも「それで十分」と受け入れてくれる取引先と関係を築いてきた。その信頼関係は、新型コロナウイルス感染症の流行時にも発揮される。多くの飲食店が苦境に立たされる中でも、取引先は酒井さんの羊肉を買い支え続けてくれたという。酒井さんはこれを「距離を超えた村社会」と表現する。
研修生の給与の一部を積み立て独立時に羊を提供
牧場ではこれまで5年間で2人の研修生を受け入れ、いずれも独立就農を果たした。研修中から羊を共同で育て、給与の一部を羊への投資という形に置き換えながら、独立時には20頭ほどの羊を持って新しい牧場へ送り出す仕組みもつくった。
さらに、自ら選抜した優良な育成羊を若手へ譲り、自身は選抜から外れた羊を引き受けるなど、次世代がより良いスタートを切れるよう工夫している。
育種にこだわり、草地を見つめ、羊毛も肉も丸ごと生かす。そして、人との信頼関係を大切にしながら、1頭1頭の価値を高め続ける。その根底にあるのは、モンゴルで学んだ「足るを知る」という価値観だ。
必要以上の規模や利益を追い求めるのではなく、自分が納得できる羊づくりを続けること。その積み重ねが、全国の料理人や作家、そして若い羊飼いや仲間たちとのつながりを育み、「羊まるごと研究所」という牧場の個性を形づくっている。
.webp)








